1930年に鉄道が開通した鹿児島市谷山地区。谷山駅を起点に全国でも人口の多い町村として発展してきました。JR鹿児島中央駅から列車で約10分、鹿児島の副都心として栄える谷山地区ですが、住民を悩ませてきたのが平面交差の踏切による渋滞や踏切事故でした。悩みを解消すべく、以前から検討されてきた「谷山地区連続立体交差事業」。都市計画事業の認可を受け、鉄道高架と新駅舎の建設から街づくりまで見据えたプロジェクトがスタートしました。鹿児島のシラス層に挑んだ土木事業部門、快適性まで実現した線路事業部門、地域の顔となる駅舎を手掛けた建築事業部門の先輩3人に話しを伺いました。
シラス層を支持層とする課題に技術力で対応 鹿児島湾を中心とした一帯には、シラスと呼ばれる地質が分布しています。その範囲は、北は熊本県人吉市や水俣市、東は宮崎市まで広がります。シラスは約2万5000年前に起こった入戸火砕流による堆積物。特徴は粒が小さく比重が軽いけれども、乾燥時はほぼ垂直に自立することです。ところが、水分量が増えると著しく強度が低下するため、シラス層を高架構造物の鉛直荷重を直接受ける支持層にするのは難しいという課題がありました。そこで、杭とシラス層の摩擦力により鉛直荷重を受け持つ摩擦杭で施工することが決まりました。
地震等の水平力に強い鋼管ソイルセメント杭 谷山高架付近のシラス層は、現地盤から40~60メートル程度の厚さがあります。支持杭だとシラス層を貫いて40~60メートル下の支持層まで到達させる必要がありますが、摩擦杭で設計すると短くすることができます。今回は、施工中の地盤の排土を必要とせず、地震等の水平力にも高い強度を持つ鋼管ソイルセメント杭を採用しました。
施工前の入念な載荷試験で安全・安心を徹底 摩擦杭の計画は、国土交通省や鹿児島市、JR九州と鉄道総合技術研究所等で委員会を構成し検討を重ねながら進行させました。シラス層で計画通りの摩擦力が得られるかどうかの載荷試験を重ね、安全・安心を第一に進めていきました。鋼管ソイルセメント杭の上にコンクリートの高架橋も施工。狭隘なヤードや道路の上で通行止めを伴う難しい作業も多かったので、無事に終えることができた時はホッと安心しました。工事しゅん功後は谷山地区の渋滞が緩和され、新たな宅地や商業地の開発を行われます。高架への切替え後は線路事業部門が現在線を、土木事業部門が路盤や橋梁などを、建築事業部門は旧駅舎を撤去して長い工事の完了です。
限られた時間内に安全・快適な軌道をつくる 土木事業部門が高架を立ち上げるとすぐに線路事業部門が現場に入り工事を開始します。手掛けるのは約2.5kmのバラスト軌道。枕木を並べレールを敷きバラストを入れミリ単位で調節しながら線路を完成させていきます。私が多く手掛けてきた新幹線軌道に比べると小規模な工事ですが、谷山高架に関しては開業日が決まっており、必ず期間内に工事を終えなければなりません。2班に分かれ軌道の両端から中心に向けて工事を進める方法で工期に対応。安定走行や騒音低減を実現するロングレールを採用して、列車の快適な乗り心地を重視しました。
一番列車が走り抜けていく姿に大きく安堵 初めて作業所長を務めたので苦労もありましたが、北陸や台湾など多くの新幹線軌道工事に携わってきた経験を活かせたと思います。開業前日の深夜、約50名の作業員が集まり、最後の線路の切替工事を行ないます。新聞やテレビ等の報道関係者が見守る中、始発列車が無事に線路を通過していくのを確認できた時は、深い安堵を覚えました。
乗り心地や音に配慮し快適なインフラを整備 ロングレールの採用で列車が走る時の「ガタンゴトン」という音がなくなり「シャー」と静かな音になりました。周辺住民の方々から「静かになった!」と感謝されたことが嬉しかったですね。「他の線路も同じようにして欲しい」なんて声を聞くと誇らしくなります。高架を新設する際は、仮線をつくり既存の線路を撤去。高架が完成したら今度は仮線を撤去します。プロジェクトの進行で大切なのは横との連携。土木事業部門や建築事業部門と密に情報交換を図りスケジュールを確認しながら工事を進めていきます。指宿枕崎線の谷山高架工事を通じて、地元である指宿に間接的に貢献できたことも嬉しく感じています。
全国初の事業となる都市づくりに参加 これまで鉄道高架化工事は、首都圏や政令指定都市などの大都市で行われることがほとんどでしたが、事業採択要件の緩和により中核都市でも公共事業として認可されるようになりました。全国で最初にその認可を受けたのが谷山高架です。鹿児島県内はもちろん、同規模の都市から注目を集めた工事となりました。高架構造物の基礎・躯体・ホームを担当する土木部門の工事が終わると迅速に駅舎工事に取り掛かります。線路も駅も開業するのは同日。土木事業部門、線路事業部門とコミュニケーションを取りながら同じゴールをめざして取り組みました。
駅舎を建てるのではなく街をつくる実感 2016年3月には、大きなガラス窓の防風スクリーンで覆われた特徴的な外観を持つ新駅舎が完成しました。開業後も仮線として敷かれていた線路を撤去するなどの整備工事は続き、北側に公園、南に駅前広場が整備される予定です。駅を中心に都市基盤整備が進んでいく今回の現場では、"駅舎を建てる"というより"街をつくる"という実感がありましたね。
新駅舎を中心に都市機能は大きく向上 新駅舎をデザインしたのは、観光列車ななつ星in九州やJR大分駅などを手掛けた水戸岡鋭治氏です。鹿児島の重要拠点の駅に相応しく、一階アプローチ天井には鹿児島産の杉があり、コンコース内の一部には花棚石という市内で採掘した天然石を使用するなど随所にこだわりがあります。振り返ると、私が滞在した数年間で街の風景は大きく変化しました。今後も歳月を掛けて成長発展していくでしょう。この工事は言ってみれば、街づくりを加速する重要な起点となります。この駅を中心として、都市機能は大きく向上していくと思いますね。その仕事に携われたことは、私にとっても大きな喜びとなりました。